2018/05/15

”捨てる"ことで幸せになったものを紹介するよ

先日「自分が正当に評価されていないと嘆く君へ」という、組織における人事評価に関するエントリ (上から正しく評価されることを諦めると幸せになるよ、という趣旨) を書いたところ好評でした。

なので、他にもこんなものを「捨てる」と決めたら幸せになったよ、という個人的体験を軽く書いてみようと思います!

社内からの評価


先の blog エントリの通りですね。
ただよく考えてみたら、僕はその後ほどなくしてその会社を辞めているし、その過程で「別に今いる会社で評価されなくても、どっか別のとこで雇ってもらえればいいし、そうなれるように実績とスキルを積んでおこう」って思うようになったなぁと。

なので、本当に捨てたのは「1 つの会社にしがみつく生き方」とかそういうやつなのかもしれん。

未来は予想できる、という思い込み


昔々ぼくは、将来はこういう風になりたいから、そのためにはこういう能力を身につけて...と、将来から逆算して今の行動を決めていた。

でも、これまでのキャリアで、事前に予測できていたことってマジでなかったなぁと。

Google と楽天の内定を持ってて、楽天を選んだときには、3 年ちょっとで Google に転職するとは思ってなかったし。
(でもそのとき楽天を選んで良かったと思ってる)

楽天には (コード書いたことないのに) 開発側で採用されてたので、ほんとだったらエンジニアやるはずだったのに、経営企画的な部署に配属されて係数管理や M&A をやることになるなんて思ってなかった。
(でも凄い恵まれてた。人にも経験にも)

Google に転職したときには、まだ今所属してる AppLovin はこの世になかった。
AppLovin に転職を決める 3 ヵ月前までは、実はこの会社の名前さえ知らなかった。
(マジです)

事前に「何年後にこれをする」と決めていたら、(そもそもその通りにいかなかったと思うが) この人生はおそらく得られなかったわけだよ。
あぁおそろしい。

たぶん大前提として、世の中そのものが自分の予想のつかない変化を、予想のつかないスピードで起こすっていうことと、自分自身の興味関心が予想外に変わる、自分自身が変化するとそれまで見えてないものが見えてくる、という【外部】と【内部】の要因が、自分の人生の将来予測を困難にしてるんじゃないかなぁ...

これからも、その時その時の直感を信じて、【面白そう】で【誰かの役に立ちそう】で、できれば【中長期で投資対効果が高そう】なことに巡り合ったら、ちょっと考えて基本やる、という風にアクションをとっていこうと思っています。

もっと良い人生の伴侶に出会える可能性


ぼくけっこう早く (お互い 23 歳のとき) に結婚してるんですが、時々聞かれるのが、なぜその早いタイミングで結婚を決めたのかということ。

確かに、その人よりも良い (ここは議論のポイントじゃないので、あえてシンプルに) 人と将来ワンチャンある可能性は、その時点では十分あった。

秘書問題とかお見合い問題とか言われる数学の問題によると、生涯で結婚するチャンスがある人 n 人と出会うとすると、n/e 人目で結婚するのが最も「ベストな人と結婚できる確率」が高いらしい。笑
詳しくはこちら

妻自身、時々ぼくに「多分あなたには私よりも良い人と結婚できた可能性がけっこうあったよね」という趣旨のことを言ってくる。
ぼくも妻に同じことを言う。

序盤の序盤に意思決定するのがベストな選択肢じゃないってことに、おそらく彼女は直感的に、ぼくは論理的に、気づいているのである。

でも、あえて早く結婚して、「他のもっと良い人と結婚できてたかもしれない可能性」を捨てた (ちゃんと捨てたw) ことで、無視できないぐらい良いことがあった。

ひとつは、一定確率で【伴侶探しに大きなリソースを使っていた】かもしれない世界線を回避できたこと。
多分彼女つくるため合コン行ったり、マッチングサービス使ったり、メシやらモノやらでお金を使ったり、していたんだろう、少なからず今よりは。

貰い物の企業ノベルティ T シャツに短パン・クロックス、みたいな気楽な格好も出来なかったかもしれない。
(良い年こいた社会人としてそれどーなの、ってツッコミはあーあー聞こえなーい)

もうひとつは、早く結婚して早く子どもを (運良く) 作れたことで得られた、比較的体力のある若いうちに子育てが出来たり、今後子どもが親元を離れる時にまだ割と若い、という "同じライフステージを迎える人の中での相対的な若さ"。

結婚生活がわりと上手くいってるから結果論として言えるのかもしれないが、早くにサクッと結婚決めちゃうの、悪くないと思ってます。

仮にダメになっても早くにリセットできるし...とかは言わないほうがいいのかな

肩書き


これは今の会社に強く影響されてる自覚があるんだけど、自分や他人の肩書きに対してまったくこだわりがなくなりました。

うちの会社って、そもそもまだそこまで組織が大きくないからレイヤーが少ないってのもあるんだけど、肩書きが全然 "盛って" なくて超シンプルなんですよね。

外資 (特に海外支社) でけっこうよくあるのが、入社するときに条件として肩書きを出す (例えば、ほげほげマネージャー、ほげほげディレクター、みたいな肩書きじゃないと入社しないよ、みたいな) 人。
あるあるですね〜。

たぶん、その会社を辞めたあと次の転職をするときに、良い条件でオファーをもらいやすい、とかそういう理由がメインだと思うんだけど。
(そのほうが仕事が進めやすい、とくに BtoB の営業文脈で、というケースもたまにあるのかもしれない)

AppLovin はわりと明確にそういうタイプが嫌いで(笑)、むしろ、肩書きなんてどーでもいいぜ、良い仕事みんなでやって美味い酒飲もうぜ、みたいな人のほうが好き。
そして見てる感じ、そういうタイプのほうが実際いい仕事する傾向にある気がする。

1 つ目の項目とも共通するんだけど、肩書きなんかよりも仕事の実績とキャラクタで評価される時代だと思うので、別にタイトルが多少ショボかろうが関係ないし、むしろそのほうが良い仕事したときギャップで高い評価もらえるんじゃないかって気さえする。笑

あこがれ・関心がある仕事


昔は例えば (楽天でのニアミスがあったのもあって) エンジニアに対する漠然とした憧れみたいなものがあった。
ので、初心者のためのプログラミング講座みたいなのに参加したり、オンラインのプログラミング学習サービスを触ったりして、ちょっとかじって、モノを作り上げるところまで到達せず終わる、学んだこともほとんど忘れる、みたいなのを繰り返してきた。

けどあるとき気づいた。
これまで幾度となく始めて、一度も続かなかったってことは、多分ぼくはプログラミングそのものを楽しいと思っていないんだろう (きっと) と。

なので、自分がわりと苦労せず続けられて、他の人より比較的うまく出来て、お金を稼げることだけをやろうと。
自分に出来ないことや、得意じゃないこと、やりたくないことは、他の能力のある / 得意な / 好きな人にやってもらおうと。

みんなが自分の得意なこと・やりたいことだけをやって、そうじゃないことは (相互に) 発注し合うような社会になれば、社会全体がより効率的になるし、お金も回るし、いい事づくしじゃないかと。
(そこまで大きな話でもないんだけど)

なので多分ぼくは今後も、エンジニアリングをはじめとする (個人的には憧れがあるんだけど) 色んな仕事について、自分では手を出さず、お金で解決 or やれる人一緒にチームを組んでやると思います。
逆に自分も、得意な領域の仕事では「お金を払ってでもやってもらいたい」と思われるようになりたいな。


あと最後に、「捨ててよかったもの」ではなく「捨てたいもの」

脂肪


お後がよろしいようで。

Q

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