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2014年5月26日月曜日

ロジカルなコミュニケーションは馬鹿のためにある

半年ぶりの記事なのに釣り気味なタイトルで申し訳ない。

考えてることを、言葉で上手く説明できなくて、もどかしい経験をしたことがある人は多い。根拠なく断言。

多くの場合これは「言語化して、論理だてて、伝達する能力が低い」と、説明する側の能力の低さとして認識されるが、逆に言うと、「多くの人は、自分が言語化できるよりも高い次元の思考をすることが出来る」とみることも出来るわけだ。

じゃあ何故言語化するかというと、それはまさに伝達するため。
元々アナログな思考を、言語というデータにデジタル化して、伝達する。

誰にも見せないパーソナルなテキスト、例えば日記のようなものも、「未来の自分に伝達している」と言える。
デジタル化したデータは、劣化しない。
 
ただしアナログなデータをデジタル化した時点で、データの最小単位に満たない部分は切り捨てられる。センチメンタルな表現をすると、いわゆる「アナログの良さ」が失われる。

デジタル化なんてしなくても、アナログなままで、自分の思考のニュアンスやストーリィやバックグラウンドまで、理解してもらうことが出来たらどんなに幸せだろうか。
その感動が「阿吽の呼吸」とか「1 を聞いて 10 を知る」といった、ポジティブな慣用句に現れているんじゃないかと思う。 

で、そういう幸せなアクシデントが生まれるのって、相手とコンテクストを共有していて、かつ、相手の頭の回転が速く理解力に優れている場合に限られる。
自分ではなく、相手の能力に大きく依存しているわけだ。

逆に、1 から 10 まで、論理的に、演繹的に、説明して理解してもらう努力を必要とするのは...?
ここから先は上手くロジカルに説明できない。()

皆さんも明日から、説明が相手に伝わらなかったときは、自分の論理的説明能力の低さを嘆くのではなく、心の中で相手に "I feel sorry about you" と呟いてあげよう。

この記事で言いたいことがちゃんと伝わったかどうか、心配だ。

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